しょうもない

明確な悩みもツラみもないから書くことがない イベントがない 日常の感覚を中卒の文章で書くしかない

今日、嘘をついた。恋人に対して。

以前、「そんな男とは関わらないで」と言われたので「はい分かりました スカイプをブロックしました」と言ってブロックした。

詳しいことは省略するが、平たく言えば、その男とまだ関わりを持っていたので怒られた。いや、断じて私は悪くない。疚しいことは何もない!私は悪くない!詳しいことは省くけど!

 

プチ喧嘩をしている最中に「もう信用できない」と言われた。私がいくら無罪を主張しても「今はそういう心情じゃない」と言われた。私は本当のことを言ってるので話に整合性はある。事実を言っているだけだ。真/偽を決める基準が事実であるか否か、ならば私の話は真だ。でも「今までのことも全部信じられなくなった」と言われた。

 

人の話に「真」と刻印するのには、明らかに飛躍がある。1度でも詐欺を働いた人間に誰もお金を貸さないだろう。でもそれは主観で「こいつは怪しい」って思ってるだけだ。そいつがもっかい金を盗るがどうかは分からない。真偽が不明で宙に浮いている言葉に「真」のスタンプを押すのには何の根拠もない。それは凄くあたり前のことなんだけれど、今日改めて考えると不思議な気持ちになった。他人を飛躍させるために「説得力」や「好意」や「日頃の行い」が必要になる。でも、他人と何気なく会話している人はみ~んな飛躍している。真/偽は分からないんだから、信じる/信じない しかない。人間が吐く言葉は弱いな と思った。他人を「信じる」のにはなんの根拠もない。盲信と言ってもいいと思う。(や、それは言い過ぎだけど…)何の根拠もない「他人の言葉」を信じて疑わない人間がUFOを信じている人間を陰で馬鹿にするのもおかしな話だなあって思った。

 

私は結局、恋人のレポートを書き上げるという償いによって「信頼」を得て、許してもらえた。そうだよね?許してくれてるよね?疚しいこと何もないからね????